こんにちは。Fyneatブログ担当です。
今回ご紹介するのは『文豪の悪態(著:山口謠司)』です。
この本では、著名な文豪がどういう言葉で悪態をついたのかがエピソードとともに紹介されています。
本書自体は経営や経済、哲学などと違いエンターテインメント寄りのテーマを扱っているので、すべてのエピソードが必ずしもビジネスに役立つとは言い切れません。
しかし時には、いわゆる「ビジネスで役立つ本」ではなく、シンプルに教養を深めてみるのもよいのではないかと思います。そのような知識のなかには、演繹的にビジネスに役立つものもきっとあるはずです。
そして今回取り上げるエピソードはまさにそういったもので、小説家の師匠と弟子の語らいです。
尾崎紅葉と泉鏡花について
もしかして尾崎紅葉という小説家を知らない人はいるかもしれませんが、代表作『金色夜叉』のタイトルを聞いたことがある人はかなり多いのではないでしょうか。
彼の小説は、繊細な心理描写と美しい文体が特徴です(と個人的に思っています)。
まったくの余談ですが、実はこの『金色夜叉』は未完の名作で、紅葉の死後に弟子が完成させた小説です。非常に上手く故人の文章の癖を模倣しているので、別人が書いたと気づく人は少ないかもしれません。
沢山の弟子を抱える小説家でもありました。弟子のなかでは小栗風葉や泉鏡花らが有名です。
紅葉は幸田露伴と並び「紅露時代」と呼ばれる期間ができるほどの売れっ子作家でしたが、胃がんを患い、35歳という若さで亡くなってしまいます。
紅葉の弟子である泉鏡花も著名な小説家です。
代表作は『高野聖』『歌行燈』などですが、彼の場合は短編集として出版されることが多いので、タイトルよりも筆名の方が有名かもしれません。
帝国芸術院の会員となったことからも、小説家としての評価はさて置き、社会的な側面で見れば師の紅葉よりも大成したといえるでしょう。
個人的な印象ですが、幻想的で少しサイケな(この部分が怪奇といわれることもあります)雰囲気のストーリーを美しい丁寧な日本語で描き出す短編が多いです。
比較的社交的な人物で弟子やファン、好意的な知人も多く、師匠である尾崎紅葉のみならず、教科書でもおなじみの『山月記』を書いた中島敦や『痴人の愛』『細雪』などで知られる谷崎潤一郎とも親交が深かったといわれています。
ノーベル文学賞の候補ともなった三島由紀夫も鏡花のファンとして知られています。『三島由紀夫おぼえがき(澁澤龍彦著)』のなかでも鏡花の小説について次のように語っていました。一部引用します。
もう「縷紅新草」は神仙の作品だと感じてもいいくらいの傑作だと思う。どんなリアリズムも、どんな心理主義も完全に足下に踏みにじっている。言葉だけが浮遊して、その言葉が空中楼閣を作っているのだけれども、その空中楼閣が完全に透明で、すばらしい作品、天使的作品!作家というものはああいうところにいきたいものだね。
『三島由紀夫おぼえがき(澁澤龍彦著)』
そして『文豪の悪態』で絶対に読んで欲しいのは、紅葉と鏡花に関するエピソードです。
弟子とのコミュニケーション
紅葉は病に倒れ、病床で傍に付き添った鏡花に「勉強しなよ」と言います。
彼の心情がなんとなくわかる気がする大切な場面なので、そのままP31から抜粋しますが
先生は、衾高く、其の枕辺につい居しに、
「……来月から国民(新聞)に載るそうだが、勉強しな。――時にいくらだ。――一両出すか。」
「いいえ、もう些とです。」
「五十銭も寄越すか。」
「もう少々。」
「二両かい。」
「先生、もう些と……」
「二両二分――三両だと。……ありがたく思え。」
床ずれの背を衾の袖におよりになり、顔をしずと見たまいて、「勉強しなよ。」
というやりとりが紹介されていました。
「先生」は紅葉、相対するのは鏡花です。
ここでいう「勉強」とは学問に励むという意味ではなく、昔の中国でいう「困難なことでも無理にがんばってやること」の意味です。
この対話は鏡花の原稿料について紅葉が質問をしているシーンなのですが、死の淵にある師匠紅葉が、予想以上の原稿料をもらっている弟子鏡花に対し、冒頭と同じセリフ「勉強しなよ」を繰り返すときの心情はどのようなものでしょうか。
実は、紅葉と鏡花の関係性はあまりよいものではなかったといわれています。
紅葉は鏡花に手ずから小説を教え、住み込みにして毎月五十銭のお小遣いをあげ、病床でも鏡花の草稿を添削するなど手厚く面倒をみていた一方で、ちくちくと小言を言ったり恋人と無理に別れさせたりと少し横暴な面もあったようです。
実際に紅葉の死後、生活が困窮した紅葉の家族から紅葉の遺品の買い取りを頼まれた鏡花が、嫌味を添えて断ったというエピソードがあることからも、その確執がうかがえます。
ちなみに別れさせられた恋人と鏡花はひそかに交際を続け、晩年に入籍しました。おしどり夫婦として有名だったそうですよ。
なお入籍が遅かったのは紅葉に遠慮してというわけではなく、鏡花自身が婚姻制度に疑問を持っていたからだと思われます。
その一方で、鏡花が紅葉を終生慕っていたことがわかる話も多くあります。
紅葉の葬儀で弔辞を読んだのも鏡花ですし、紅葉の死後にその尊厳を貶めかねない発言をした弟弟子と大喧嘩をしたり、仏壇に紅葉の遺影を長年飾ったりといったエピソードが残っています。
おわりに
紅葉は目をかけつつも、あまりよい関係ではなかった鏡花に対し、どんな思いで「勉強しなよ」と言葉をかけたのでしょうか。
そして鏡花は、師匠の意図するところをすべて読み取ることができたのでしょうか。尊敬しつつも死後に仕返しをしたくなるくらいには憎んでいたのだとすると、紅葉の「勉強しなよ」はあまりよい意味に聞えなかったのかもしれませんね。
また、鏡花がその後大成したことから、紅葉による育成は一応成功したといえると思いますが、鏡花の後継ぎとしては果たして本当に育成に成功したといえるのでしょうか。
あくまで個人的な感想ですが、このやり取りや紅葉と鏡花の関係性を思うと「親の心子知らず」という言葉が浮かびます。
紅葉は鏡花に対し、その才能を認める旨の激励をたびたびしていますが、もしかして紅葉がモチベーション戦略をもっと綿密に練って実践していれば、2人はもう少し違った関係だったのかもしれません。
あるいは育成するという意味では、確執が生じるほど厳しくすることも大事だったのかもしれません。
企業ではどうでしょうか?
後継者問題に悩む経営者の方は多いと思います。
このエピソードを読むと、自身の後継者とどう関わってどう育てていくべきなのかということを少しじっくりと考えたくなりませんか?